冬に観た芝居の方が、記憶に残ってるような気がする。
どうしてだろう。熱気うず巻く劇場をあとにして、寒い外に出たとたん、芝居の感想や心の中の感情が、ガチンと記憶の中で凍ってしまうんだろうか。
今夜、札幌ハムプロジェクト『カラクリヌード』を観た。簡素な黒い舞台、衣装も黒。小道具は一種類だけで、それが色を変える。スピーカーから流れるSEはない。すべて役者の声で表現する。
役者は声をあげる。SEとしてだけでなく、登場人物として、感情を叫ぶ。セリフの応酬は、巨大な爆発のように舞台上を覆う。何度も。シアターZOOの大きさを考えれば、場違いなほどの大きさだ。過剰とも思える盛り上がりのあと、突如、静寂が訪れる。炎が一瞬で凍ってしまったように、場が変わる。
その静けさがいい。まるで、舞台の上に真空が生まれたみたいに、役者も、客も、物語も、そこに吸いこまれてしまう。
ああ、これを観に来たんだな、と思った。
ストーリーは、わかりやすいわけではない。様々に現れる登場人物を整理しながら、突如生まれるリンクに翻弄されつつ、客はなんとか流れを追う。わかりづらいと言う人もいるかもしれない。だけど、舞台上で苦しみもがく、登場人物の感情がわからない人はいないだろう。
あのカメラマンの叫びや行動に、胸打たれない人がいるだろうか。SFなのに、まるで現代の男女のやりとりのようだ(ぜひ観てほしい)。その場面を見て思う。僕たちは、相手の何を見て、好きとか嫌いとか判断しているんだろうか。“ここではないどこか”が、“いまここ”になった瞬間で、SFというジャンルが持つ美しさだった。
芝居が終わり、熱気に包まれた劇場を出て、冬の、夜の道を歩いた。歩きながら僕が思い出していたのは、熱いセリフのやりとりではなく、凍りついたように動かない役者たちの姿と、そこに現れた、まったくの静寂だった。
公演場所:シアターZOO
公演期間:2016年1月30日~2月6日
初出:演劇シーズン2016冬「ゲキカン!」
text by 島崎町